Diary

光と共に
-わたしのいるべき場所-

2011年10月

2011.10.04

台風と共に・・・<その4>

山形での演奏を終え、その夜はものすごい風と雨で、外は大変なことになっていました。

ニュースを見ると、なんと翌日使う予定の高速道路が台風の影響で閉鎖されているとのこと。

どうしようかと不安がよぎりましたが、時間はかかるものの一般道で行けるということだったので

少しほっとしました。

 

22日の朝7時に父の実家を出発し、一般道で再び仙台へ。

前夜に台風が北上したため、空は晴れ、あたり一面、緑がまぶしく輝いていました。

 

畑の中を通る一般道は、収穫を待つ黄金のお米で埋められ、風車も心地よさそうに回っていました。

最上川は氾濫しており、危ない感じはしました。

 

約4時間後に仙台へ到着。

約束の時間よりもだいぶ早く着いたので、演奏する若林区南小泉中学校から車ですぐの

荒浜地区へ行ってみました。

一般車は未だ通ることが許されておらず、ギリギリの場所まで行きました。

畑も植木も家も、もう何もかもが形を崩され、電信柱も歩道も被害を受けたまま。

ショックでした。

 

午後1時に南小泉中学校を訪れ、早速準備にとりかかりました。

仙台で最も古いという体育館は、震災当日バスケットゴールが落下し、

避難所として使えない状態だったそうです。

格技場を避難所として解放し、たくさんの方々を受け入れたそうです。

当日はちょうど卒業式があり、生徒を帰した後、部活動を行っていたそうですが、

震災にあい、グラウンドへ非難させたようです。

校舎の窓ガラスも落下し、しまいには雪まで降ってきてしまい、大変だったようです。

お話してくださって教頭先生も、当日は避難勧告のアナウンスをするためにマイクをとろうとしても

揺れがひどくて、マイクを握ることができなかったといいます。

私が訪れた荒浜地区では200人ものご遺体があがったということで、

教頭先生もその対応に追われたそうです。

そんな中、生徒達は避難してきた方々の対応を一生懸命し、

お手伝いをたくさんされたとのことでした。彼らの勇気と行動に驚かされました。

 

午後2時過ぎに演奏を開始し、40分ほどの短い時間でしたが、楽しい時間を過ごさせて頂きました。

中山中学校同様、南小泉中学校の生徒さん達もきちんとした姿勢で演奏を聴いてくださり、

私の話や問いかけにもきちんと応対してくださいました。

6時限目ということもあり、マリンバの柔らかい音にいざなわれて、

眠りに陥りそうな生徒さんもいらっしゃいました。

 

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演奏の後、生徒2名からメッセージを頂き、ここでもまたお花を頂いてしまったのです!

そんなつもりは、本当に全くなく、ただただ演奏させていただきたかっただけなのですが。。

後日、南小泉中の生徒さんからもお手紙を頂きました。

今、お返事を書いている最中です。

 

こちらの生徒達を指導していると、同じ年で何故こんなにも性質が違うのだろう、と思ってしまいます。私立と公立の違いもあるかもしれませんが、こちらの生徒達は心が育っていないと感じてしまいます。先生方の指導にきっと鍵があるのでしょう。そして生徒達もまた、先生方の熱い想いに応えようと、頑張っているのかもしれません。

先生方のご指導が行き届いている様子と、

子ども達の素直さと誠実さを伺うことができ、とても感動しました。

仙台の中山中学校と南小泉中学校の先生方と生徒さんと出会い、

教育に関して大切なことを学ばせていただきました。

 

心を育てる教育に、私もまた関わっていくことができたら嬉しいです。

 

今回の東北での演奏旅行、言葉にはならない多くのことを学ばせていただきました。

 

お世話になりました皆さま、ありがとうございました。

 

2011.10.04

台風と共に・・・<その3>

20日に仙台市立中山中学校での演奏を終えた後、

すぐに山形県酒田市へ向かいました。

台風と共に北上し、どうやら山形で共に停滞するようです。。。

 

約3時間ほどで酒田市に到着し、その足で翌日行われるコンサートの開場へ。

そこで地域振興課の方と学校関係者との打ち合わせを行いました。

天井が高く、真四角の体育館。

音響も良く、明るい感じがとてもよかったです。

子ども達は床に直接座り、地域の方々はいすに座るとのことでしたので

ステージではなく、床にセッティングをすることになりました。

 

翌21日は朝から大雨。

楽器搬入も一苦労でしたが、南平田小学校の校長先生は誰よりも機敏に、

パワフルに動いてくださり、あっという間に搬入と組み立てが終りました。

 

約600人の方が集まってくださり、楽しいひと時を送らせていただきました。

児童参加型のコンサートにしましたが、

もちろんマリンバの名曲やマルチ・パーカッションの作品もいれました。

子ども達は50分間、きちんと聴いてくれていて、非常に積極的に参加してくれました。

児童の面白さに、時に開場から笑いもあふれ、なんだか温かい雰囲気の中での演奏でした。

 

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父が酒田市平田の出身ということで、

昨年東京で行われた首都圏平田会で演奏させていただいたことがきっかけで

今回のお話を頂きました。

今は亡き元会長の久松さんが、以前鎌倉で開催した私のリサイタルにご夫婦で来てくださり、

久松さんから平田会につながり、そして平田会から酒田市につながりました。

 

色々な方に目を留めていただいて、こうして演奏させていただいていることは本当に嬉しいです。

 

演奏修了後は、南平田小の校長先生・教頭先生・平田会理事の小野寺さん・地域協議会会長の富樫さん・地域振興課の伊藤さんとご一緒に、給食をいただきました。楽しいお話も多く、そんな中、教頭先生に「望さんは、私達の話していることが理解できていますか?」と、聞かれました。

昔は本当に理解できず、まるで外国に来たような気分でしたが、

みなさん気を使ってくださって、分かるように話してくださるので、大丈夫でした(笑)

地元産の食材を使った給食は、おいしかったです!ごちそうさまでした。

 

お昼をご馳走になったあとは、片付けが・・・・

と、そこに三角巾をかぶった子ども達が。

「あ、阿部さんだ!洋服着替えたの?」

目ざとい女子は、すぐさま私の衣装の違いに気付き、

対する男子は

「へぇ~。マリンバってそうやって片すんだぁ~」

と、楽器に夢中。

教頭先生がすぐさま

「やっぱり女子と男子は目の行くところが違うんだなぁ」

と、感心されていました。

子ども達は三角巾を頭にかぶり、掃除をする準備が整っているようでしたが、

その前に「昼休み」という楽しい時間があるので、

三角巾をつけたまま遊んでいるのでした。

 

最後に「阿部さぁ~ん、サインしてぇ~!」とカワイイ女子軍団が待っていました。

「えぇ~、私あんまりサインしたことないから、どーしよーかなぁ。。」

「早く!早く!ここに何か書いて!」

カワイくせがまれ、素直に名前(漢字で)とメッセージを書き渡しました。

「またねぇ!また来てねぇ!」

と大きく手を振り、先生方にご挨拶しておいとましました。

 

楽しい時間をありがとうございました。

2011.10.04

台風と共に・・・<その2>

19日に仙台入りした翌日、20日は朝から大雨でした。

 

10時に仙台市立中山中学校を訪れ、校長先生と音楽科の吉田先生にお会いし

すぐに準備にとりかかりました。

本当はステージの上でなく、生徒のみなさんが座る同じ場所で演奏考えていましたが

生徒数が多いのできっと後ろの生徒は見えないだろう、ということで

急遽ステージへセッティングを変更しました。

 

中山中の生徒さんたちは、本当に本当にきちんとされていて、しっかりされていて、驚きました。

先生がお話を始められるとシーンと静まり返り、漂う空気も張り詰めていました。

ふだん私が指導している私立の中学生とは天と地との差が。。。。。

なんてしっかりとされている生徒さんなんだろう、と感心しっぱなしでした。

 

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演奏中もおしゃべりは全くなく、みなさん真剣に演奏と話に耳を傾けてくださって、

あっという間の45分でした。

最後に生徒さんたちから質問をされ、それに答えました。

私は中3の時に音楽の道に進む決心をしたわけですが、そのことも話しました。

生徒さんの中には、音楽の道に進もうかどうしようか迷っている人もいたようですが、

好きなことを追求する強い気持を忘れないでほしいと思います。

 

最後の最後に、男子生徒さんがメッセージをくださいました。

心に深く深く響く、強い決意の言葉でした。

苦しい思いをした子ども達がこんなにもたくさんいて、

でも一生懸命前を向いて歩いていこうとしているその姿勢に感銘を受けました。

お花まで頂いてしまいました。。。

私はただ、少しでも多くの子ども達にマリンバや打楽器の面白さを伝えたい、そして少しの時間でも辛い思いを忘れてもらいたい、そういう気持でやらせていただいたのです。

お花を頂くなんて、なんて図々しい自分なんだ、と後悔の念に駆られました。

子ども達・先生方の想いと、申し訳ない、という思いとで胸がふさがれ、

最後は私も泣けてきてしまいました。(必死でこらえたのですが、無理でした)

 

「みなさんが経験された痛みは、必ず人の心に寄り添える優しさになります。

苦しんでいる人がいたら、その人の苦しみを理解し、ともに泣くことができます。

私達に何ができるかわかりません。でも、いつもみなさんのことを想っていますので、

何でもいいですから必要な時は声をかけてください。できる事をできる限りやらせていただきます。」

 

 

数日後、中山中の生徒さんたちから心のこもった手紙が届きました。

それぞれの心の中にある想いを隠さず書いてくださいました。

今、一人一人に宛てて返事を書いているところです。

それぞれが自分の信じる道に歩んでくれることを祈っています。

そして健康と、これからの幸せをも祈っています。

 

 

2011.10.04

台風と共に・・・

9月19日より仙台・山形へ行ってきました。

空模様が怪しいなか、東北自動車道を通って東北入りをしました。

途中、福島のSAで休憩をしつつ、屋外に設置されている大地図を眺めながら

そこから少し東へ行けば南相馬市であることを知り、なんだか胸が痛んできました。

福島県に入ったあたりから、道路の損傷が激しい場所や壊れている家々が目立ち始め、

あの大地震が、多くの人にどれだけ大きな傷を与えたかを改めて痛感させられました。

その日の夕方に仙台入り。 

新幹線の線路下にある仮設住宅を実際に見て、言葉にならないほどの衝撃を受けました。

あんなに小さな住まいに、今も苦しんでいる方々がいらっしゃると思うと

何もできない自分がとても憎かった。

一体自分は何をしているのか。。。。

 

そんな思いを残したまま、宿泊予定の仙台駅前のホテルへ。

夕飯まで時間があったので、少し街中を歩きました。

大きな街で、数年前に訪れた時とは全く違う顔を持ち、東京に並ぶ大都会でした。

しかし地震の傷跡はそこらじゅうに見受けられました。

 

夕飯の際、サーブしてくださったお姉さんが、地震の時のことをたくさん話してくださいました。

彼女はまだ20代前半。出身は仙台から少し離れた小さな町だそうです。

地震当日もホテルで働いており、ちょうどお昼のお客さんのおもてなしをすべて終え、

さあ、これから休憩だ!という時に大きな揺れに見舞われたそうです。

割れた食器やめちゃめちゃになったテーブルセッティングを片付けていると、

駅から信じられないほどたくさんの人がホテルに押し寄せ、身動きがとれない状態になったそうです。

ラジオから聞こえる地震の情報に、その時はまだ、大きな事態になるとは思わなかった、と。

しばらくは現在の住まいや実家にも帰れなかったそうですが、

その後実家に戻ったところ、実家は損傷が激しく、立ち入り禁止になっており、

外からは津波の跡が克明に残っていたといいます。

避難所で家族に再開し安心したのもつかの間、今度は人々との軋轢の中での肩身のせまい思いをされ、カップラーメンひとつ食べても、人の目が気になる状況があったそうです。

「人の目が本当に怖かったです。」

そうつぶやかれました。

 

「今回はなぜこちらにいらしたのですか?」

と聞かれたので、

「こちらの中学校2校で演奏させていただくので、仙台に来ました。」

と答えました。

彼女は、

「こちらの学生は、地震のせいでたくさんの行事がつぶれてしまい、楽しむことができないでいます。

ぜひ楽しい時間を子ども達に与えてあげてください。きっと喜びますよ。頑張ってください!」

と、励ましてくださいました。

終始穏やかな笑顔で話し、サーブしてくださった彼女。

大きな地震にみまわれて、想像できないほどの辛く苦しい思いをされたはずなのに、

地震の時のことを淡々と話してくださり、そして逆にこちらが励まされました。

テレビや新聞ではなく、こうして生の声を聞かせていただいたことは貴重な経験でした。

 

地盤沈下が激しいと言う仙台駅周辺の地区は、今も工事が続けられています。