Diary

光と共に
-わたしのいるべき場所-

2019.09.23

支え合うって

いつのまにか猛暑がどこかへ。。。

ここ最近、異常気象に見舞われていますが、
その度に、大切な人たちの安否が気になります。
お世話になっている同僚は、昨年の西日本豪雨でご家族を亡くされ、
その悲報を知った時は言葉も出ず、
彼女の、計り知れない悲しみを共有することしか出来ませんでした。

長崎で活動されている方々に
「どうぞお気をつけて」と連絡すると、
とても大変な状況にいらっしゃるのに、いつも逆に勇気づけられたりして、
無力な自分を情けなく思ったりしています。

千葉に住んでいる親友は、台風がとても怖かったー、と。
まだ小さい子がいるので、本当に心配でした。
何かできることがあれば、なんでも言って!と伝えたけれど、
よく考えると、そんな言葉じゃなくて、すぐに飛んでいくから!と言うべきだった。。。
でも、生後4ヶ月の乳児を連れて行ったら、逆にたくさん気を使わせてしまったかも、なので
結局は、何もできない自分がそこにいるだけだ、と、改めて痛感した次第です。
まだまだ不便な生活を送られている方々を思うと、
自分が代わってあげられたら、と思わずにはいられません。


今年5月に第2子を出産し、一人では何もできない赤ちゃんを見ていると、
たとえ無力な自分でも、この子にとって私は必要な存在なんだ、と日々感じています。

上の子は、自分の小さな兄弟が可愛くて可愛くて仕方ないようで、
溺愛していますが、
彼にとってもまた、小さな兄弟は必要な存在であり、
心の支えのようです。

共に支え合える存在がいる、というのは、本当に幸せなことだと感じます。

離れていても、近くにいても。

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2015.03.12

新しい命

京都の学校に赴任して2年が経ちました。

高校生の担任をし、
今月はいよいよ、初めて担任を持った子供たちが卒業します。
母親の気持ちで接していたので、スタートラインに立つ彼らを誇らしく思います。

私もプライベートで、昨年母親になりました。
妊娠が分かってから予定日の3週間前まで仕事をしていたので、出産準備もできず
産休に入ってから少しはゆっくりできるかしら。。。と思いきや、
準備や何やらで時間は瞬く間に過ぎ、
終盤はゆっくり眠ることもできないほどのしんどさと戦っていました。

そして。。。
予定日よりも早く陣痛がきて、でも子宮口や骨盤が開かず、子供もなかなか下に降りてこなかった為
緊急帝王切開での出産となりました。
26時間の陣痛の末、クリスマスの早朝に生まれたわが子は、3660gの大きな男の子。



まるっきり日本人顔ですが、日本人とバングラデシュ人のダブルです。

立会を望んでいた夫ですが、手術室には入れなかったので、
生まれてすぐの息子を看護師さんが抱かせてくださったようです。

主治医が
「大きなお子さんです。」
と言ったら、
夫は
「外国人プロダクトだからです!」
と答えたそうです。



大晦日に無事に退院し、
3時間おきに起きる息子との生活が始まりました。
友人や同僚には「大変でしょう!」と言われますが、
あまり大変とも、苦とも感じず、
ただただ、彼が息をしているか、苦しんでいないか、寒さに震えていないか、
そんなことを心配しながら、必死で育てている、という状態です。

そんな息子も2か月半となり、最近は天使とお話ししているのか、
よく声を発し、笑い、全身を一生懸命に動かしています。
日々の成長がおもしろく、どんな子に成長するのだろうか、と今から楽しみです。



子を持つ母親として、戦争のない世界を望みます。
小さくても大きくても、戦いは戦い。
その戦いをなくしたいと思います。

その為には、私自身の心の中からも、いさかいの種を取り除かなければならない。
許せないことも、不愉快なことも、不満も何もかも。
これまでのことも、これからも。

自分のこれまでの歩みを思い、新たな決意を胸に抱きます。

全ては、新しい命が私に教えてくれたこと。


私も、大人としてのスタートラインに
ようやく立てたようです。













2013.04.03

春の京都

仕事で京都に行った。

 

鴨川の桜は散り始めている。

しかし、京都は寒い!風が冷たい!

陽があたると少しは温かいが、やはり大阪より寒い。

 

河原町通にある有名な和菓子屋さんは、

今日も長蛇の列。

豆大福に桜餅。田舎もちやら、よもぎもち。。。

みなさんたくさん買われている。

ただし、このお店の餅菓子は、本当の餅を用いているので、

夜にはかたくなってしまう。。。。

桜餅は、大きめの桜の葉が2枚くっついていて、しょっぱあまくて、おいしい!

 

今出川通には、ハード系のパンを扱っている、小さなパン屋さんもある。

その隣の隣には、これまたちっちゃな和菓子屋さんがある。

 

学生にはうってつけの場所です。

 

前の職場の上司は、

「京都に住むなら四条とか五条とかあたりがおすすめですョ。

  京都に引っ越すのなら、そこらへんがとても良いです。引っ越したら教えてください。

 飲みに引っ張りだしますョ。」

と、言っていたっけ。

夏は暑くて冬は寒いけれど、美しい街であることは確か。

住んでみたいなぁ、という思いはあるけれど・・・

でも、今住んでいるところはとても好きだから、たぶんまだまだ引っ越さない。

と、思う。

 

もうすぐ造幣局の桜が見ごろ。

大阪城はもう満開です。

 

 

 

2013.03.09

春の訪れ

先月の終わりに、コンサートの為に横浜へ帰りました。

お正月以来の横浜はとても晴れていて気持ちよかった!

 

夫は楽器運び&組立で、よく働いてくれました。

 

帰りに頂いた手作りのカステラは、本当においしかった!!

 

大阪へ帰ってきてからは、目まぐるしい日々が続いています。

年度末ということと、勤務先の学校の定期演奏会が近付いているせいもあるでしょう。

 

そんな中、今日は久々にとれた休みでした。

が、どうしてもやらなければならない仕事がでてしまい急遽、勤め先へ。

1時間弱でパパっと片づけ、夫と待ち合わせをして大阪城へ足をのばしました。

人がたくさん。

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桜が美しく咲いていました。早桜、かな?

春の訪れ、いよいよです。

2週間後には、1年遅れの結婚式。

そして4月からは新しい職場での仕事開始。

パワーアップして、さらに将来の目標に近づけるかな?!

 

2012.07.14

蝉のこえ

あっという間に7月!
先週から蝉が鳴き始め、ようやく夏の気配。
まだまだ雨は続き、梅雨明けはもうちょっとのようです。

「大阪は暑いよー」と周りから言われていましたが、
どのくらい暑いのか、そんなに暑いのか、全く分かっていません。
そもそも、毎年の暑さ・寒さが一体どれくらいなのかよく分かっていないので、
関東のそれと関西のそれとの比較ができない、というのが本音です。

でも、ムシムシさは、こちらの方がすごいかも。
空気もベタベタしているので、呼吸をするのも大変です。

教師生活は本当に大変で、信じられないほど忙しい!
でも子供たちの笑顔に救われています。

先週は、東京・中渋谷教会の及川牧師を招き、兵庫県・篠山へ修養会に行ってきました。
山間ののどかな場所で、小虫たちのパーティーがそこらじゅうで行われていました。
黒豆茶が美味しかった。

様々な行事や学校生活に追われる中、自分の時間が持てない事に悩んでいましたが、
仕事帰りに寄る、ホットヨガが唯一の趣味となりました。
汗をたっぷりかいて、シャワーを浴びて、帰宅したらすぐに寝る。
そんな生活が最近続いています。

9月には、同僚のオーボエ奏者・品川明子さんとの演奏会があるので楽しみ!

その前に!
2週間後には吹奏楽コンクール!!
府大会出場目指して、生徒たちは頑張っています。



2012.04.20

新しい出発

3月後半に大阪へ引っ越しました。
こちらでの仕事の関係で。

ミッションスクールでの勤務が中心になりましたが
これまでと同じく、演奏活動もしていきます!


新しい出発は大変だけど、良いものです。
数年前の留学を思い出します。
不安もあるし、楽しみもあるし。
実際、毎日毎日がとても充実しています。
1日があっという間に過ぎてしまうけれど、
人間と人間の関わりの場、教育現場で生活し
生徒たちと交わえること、先生方と切磋琢磨できること、
それがとてもうれしいです。

やはり、現場は、現場に関わっている人にしか分からないことが多い。
世の中にはたくさんの教育研究者や教育評論家がいるけれど、
教育の基本の基本は、現場にあると私は考えます。
でも、専門家の知識に助けられ、勉強になることも多いですが。

とにかく、充実すぎる日々を送っています。


夫は現在海外在住ですので、疲れて帰っても適当に夕飯を済ませられること、
どれだけ長くお風呂に入っても文句を言われないこと、そしてテレビも、
全部一人占めできていることが、プライベートではちょっとした幸わせです(笑)
まあ、夏までの話ですが。。。
夏からは家庭のこともきちんとしなきゃなぁ。。
身の引き締まる思いです!


校庭では、八重桜が咲き誇っています。
美しい春です。

今から夏が楽しみ!!








2011.10.04

台風と共に・・・<その4>

山形での演奏を終え、その夜はものすごい風と雨で、外は大変なことになっていました。

ニュースを見ると、なんと翌日使う予定の高速道路が台風の影響で閉鎖されているとのこと。

どうしようかと不安がよぎりましたが、時間はかかるものの一般道で行けるということだったので

少しほっとしました。

 

22日の朝7時に父の実家を出発し、一般道で再び仙台へ。

前夜に台風が北上したため、空は晴れ、あたり一面、緑がまぶしく輝いていました。

 

畑の中を通る一般道は、収穫を待つ黄金のお米で埋められ、風車も心地よさそうに回っていました。

最上川は氾濫しており、危ない感じはしました。

 

約4時間後に仙台へ到着。

約束の時間よりもだいぶ早く着いたので、演奏する若林区南小泉中学校から車ですぐの

荒浜地区へ行ってみました。

一般車は未だ通ることが許されておらず、ギリギリの場所まで行きました。

畑も植木も家も、もう何もかもが形を崩され、電信柱も歩道も被害を受けたまま。

ショックでした。

 

午後1時に南小泉中学校を訪れ、早速準備にとりかかりました。

仙台で最も古いという体育館は、震災当日バスケットゴールが落下し、

避難所として使えない状態だったそうです。

格技場を避難所として解放し、たくさんの方々を受け入れたそうです。

当日はちょうど卒業式があり、生徒を帰した後、部活動を行っていたそうですが、

震災にあい、グラウンドへ非難させたようです。

校舎の窓ガラスも落下し、しまいには雪まで降ってきてしまい、大変だったようです。

お話してくださって教頭先生も、当日は避難勧告のアナウンスをするためにマイクをとろうとしても

揺れがひどくて、マイクを握ることができなかったといいます。

私が訪れた荒浜地区では200人ものご遺体があがったということで、

教頭先生もその対応に追われたそうです。

そんな中、生徒達は避難してきた方々の対応を一生懸命し、

お手伝いをたくさんされたとのことでした。彼らの勇気と行動に驚かされました。

 

午後2時過ぎに演奏を開始し、40分ほどの短い時間でしたが、楽しい時間を過ごさせて頂きました。

中山中学校同様、南小泉中学校の生徒さん達もきちんとした姿勢で演奏を聴いてくださり、

私の話や問いかけにもきちんと応対してくださいました。

6時限目ということもあり、マリンバの柔らかい音にいざなわれて、

眠りに陥りそうな生徒さんもいらっしゃいました。

 

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演奏の後、生徒2名からメッセージを頂き、ここでもまたお花を頂いてしまったのです!

そんなつもりは、本当に全くなく、ただただ演奏させていただきたかっただけなのですが。。

後日、南小泉中の生徒さんからもお手紙を頂きました。

今、お返事を書いている最中です。

 

こちらの生徒達を指導していると、同じ年で何故こんなにも性質が違うのだろう、と思ってしまいます。私立と公立の違いもあるかもしれませんが、こちらの生徒達は心が育っていないと感じてしまいます。先生方の指導にきっと鍵があるのでしょう。そして生徒達もまた、先生方の熱い想いに応えようと、頑張っているのかもしれません。

先生方のご指導が行き届いている様子と、

子ども達の素直さと誠実さを伺うことができ、とても感動しました。

仙台の中山中学校と南小泉中学校の先生方と生徒さんと出会い、

教育に関して大切なことを学ばせていただきました。

 

心を育てる教育に、私もまた関わっていくことができたら嬉しいです。

 

今回の東北での演奏旅行、言葉にはならない多くのことを学ばせていただきました。

 

お世話になりました皆さま、ありがとうございました。

 

2011.10.04

台風と共に・・・<その3>

20日に仙台市立中山中学校での演奏を終えた後、

すぐに山形県酒田市へ向かいました。

台風と共に北上し、どうやら山形で共に停滞するようです。。。

 

約3時間ほどで酒田市に到着し、その足で翌日行われるコンサートの開場へ。

そこで地域振興課の方と学校関係者との打ち合わせを行いました。

天井が高く、真四角の体育館。

音響も良く、明るい感じがとてもよかったです。

子ども達は床に直接座り、地域の方々はいすに座るとのことでしたので

ステージではなく、床にセッティングをすることになりました。

 

翌21日は朝から大雨。

楽器搬入も一苦労でしたが、南平田小学校の校長先生は誰よりも機敏に、

パワフルに動いてくださり、あっという間に搬入と組み立てが終りました。

 

約600人の方が集まってくださり、楽しいひと時を送らせていただきました。

児童参加型のコンサートにしましたが、

もちろんマリンバの名曲やマルチ・パーカッションの作品もいれました。

子ども達は50分間、きちんと聴いてくれていて、非常に積極的に参加してくれました。

児童の面白さに、時に開場から笑いもあふれ、なんだか温かい雰囲気の中での演奏でした。

 

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父が酒田市平田の出身ということで、

昨年東京で行われた首都圏平田会で演奏させていただいたことがきっかけで

今回のお話を頂きました。

今は亡き元会長の久松さんが、以前鎌倉で開催した私のリサイタルにご夫婦で来てくださり、

久松さんから平田会につながり、そして平田会から酒田市につながりました。

 

色々な方に目を留めていただいて、こうして演奏させていただいていることは本当に嬉しいです。

 

演奏修了後は、南平田小の校長先生・教頭先生・平田会理事の小野寺さん・地域協議会会長の富樫さん・地域振興課の伊藤さんとご一緒に、給食をいただきました。楽しいお話も多く、そんな中、教頭先生に「望さんは、私達の話していることが理解できていますか?」と、聞かれました。

昔は本当に理解できず、まるで外国に来たような気分でしたが、

みなさん気を使ってくださって、分かるように話してくださるので、大丈夫でした(笑)

地元産の食材を使った給食は、おいしかったです!ごちそうさまでした。

 

お昼をご馳走になったあとは、片付けが・・・・

と、そこに三角巾をかぶった子ども達が。

「あ、阿部さんだ!洋服着替えたの?」

目ざとい女子は、すぐさま私の衣装の違いに気付き、

対する男子は

「へぇ~。マリンバってそうやって片すんだぁ~」

と、楽器に夢中。

教頭先生がすぐさま

「やっぱり女子と男子は目の行くところが違うんだなぁ」

と、感心されていました。

子ども達は三角巾を頭にかぶり、掃除をする準備が整っているようでしたが、

その前に「昼休み」という楽しい時間があるので、

三角巾をつけたまま遊んでいるのでした。

 

最後に「阿部さぁ~ん、サインしてぇ~!」とカワイイ女子軍団が待っていました。

「えぇ~、私あんまりサインしたことないから、どーしよーかなぁ。。」

「早く!早く!ここに何か書いて!」

カワイくせがまれ、素直に名前(漢字で)とメッセージを書き渡しました。

「またねぇ!また来てねぇ!」

と大きく手を振り、先生方にご挨拶しておいとましました。

 

楽しい時間をありがとうございました。

2011.10.04

台風と共に・・・<その2>

19日に仙台入りした翌日、20日は朝から大雨でした。

 

10時に仙台市立中山中学校を訪れ、校長先生と音楽科の吉田先生にお会いし

すぐに準備にとりかかりました。

本当はステージの上でなく、生徒のみなさんが座る同じ場所で演奏考えていましたが

生徒数が多いのできっと後ろの生徒は見えないだろう、ということで

急遽ステージへセッティングを変更しました。

 

中山中の生徒さんたちは、本当に本当にきちんとされていて、しっかりされていて、驚きました。

先生がお話を始められるとシーンと静まり返り、漂う空気も張り詰めていました。

ふだん私が指導している私立の中学生とは天と地との差が。。。。。

なんてしっかりとされている生徒さんなんだろう、と感心しっぱなしでした。

 

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演奏中もおしゃべりは全くなく、みなさん真剣に演奏と話に耳を傾けてくださって、

あっという間の45分でした。

最後に生徒さんたちから質問をされ、それに答えました。

私は中3の時に音楽の道に進む決心をしたわけですが、そのことも話しました。

生徒さんの中には、音楽の道に進もうかどうしようか迷っている人もいたようですが、

好きなことを追求する強い気持を忘れないでほしいと思います。

 

最後の最後に、男子生徒さんがメッセージをくださいました。

心に深く深く響く、強い決意の言葉でした。

苦しい思いをした子ども達がこんなにもたくさんいて、

でも一生懸命前を向いて歩いていこうとしているその姿勢に感銘を受けました。

お花まで頂いてしまいました。。。

私はただ、少しでも多くの子ども達にマリンバや打楽器の面白さを伝えたい、そして少しの時間でも辛い思いを忘れてもらいたい、そういう気持でやらせていただいたのです。

お花を頂くなんて、なんて図々しい自分なんだ、と後悔の念に駆られました。

子ども達・先生方の想いと、申し訳ない、という思いとで胸がふさがれ、

最後は私も泣けてきてしまいました。(必死でこらえたのですが、無理でした)

 

「みなさんが経験された痛みは、必ず人の心に寄り添える優しさになります。

苦しんでいる人がいたら、その人の苦しみを理解し、ともに泣くことができます。

私達に何ができるかわかりません。でも、いつもみなさんのことを想っていますので、

何でもいいですから必要な時は声をかけてください。できる事をできる限りやらせていただきます。」

 

 

数日後、中山中の生徒さんたちから心のこもった手紙が届きました。

それぞれの心の中にある想いを隠さず書いてくださいました。

今、一人一人に宛てて返事を書いているところです。

それぞれが自分の信じる道に歩んでくれることを祈っています。

そして健康と、これからの幸せをも祈っています。

 

 

2011.10.04

台風と共に・・・

9月19日より仙台・山形へ行ってきました。

空模様が怪しいなか、東北自動車道を通って東北入りをしました。

途中、福島のSAで休憩をしつつ、屋外に設置されている大地図を眺めながら

そこから少し東へ行けば南相馬市であることを知り、なんだか胸が痛んできました。

福島県に入ったあたりから、道路の損傷が激しい場所や壊れている家々が目立ち始め、

あの大地震が、多くの人にどれだけ大きな傷を与えたかを改めて痛感させられました。

その日の夕方に仙台入り。 

新幹線の線路下にある仮設住宅を実際に見て、言葉にならないほどの衝撃を受けました。

あんなに小さな住まいに、今も苦しんでいる方々がいらっしゃると思うと

何もできない自分がとても憎かった。

一体自分は何をしているのか。。。。

 

そんな思いを残したまま、宿泊予定の仙台駅前のホテルへ。

夕飯まで時間があったので、少し街中を歩きました。

大きな街で、数年前に訪れた時とは全く違う顔を持ち、東京に並ぶ大都会でした。

しかし地震の傷跡はそこらじゅうに見受けられました。

 

夕飯の際、サーブしてくださったお姉さんが、地震の時のことをたくさん話してくださいました。

彼女はまだ20代前半。出身は仙台から少し離れた小さな町だそうです。

地震当日もホテルで働いており、ちょうどお昼のお客さんのおもてなしをすべて終え、

さあ、これから休憩だ!という時に大きな揺れに見舞われたそうです。

割れた食器やめちゃめちゃになったテーブルセッティングを片付けていると、

駅から信じられないほどたくさんの人がホテルに押し寄せ、身動きがとれない状態になったそうです。

ラジオから聞こえる地震の情報に、その時はまだ、大きな事態になるとは思わなかった、と。

しばらくは現在の住まいや実家にも帰れなかったそうですが、

その後実家に戻ったところ、実家は損傷が激しく、立ち入り禁止になっており、

外からは津波の跡が克明に残っていたといいます。

避難所で家族に再開し安心したのもつかの間、今度は人々との軋轢の中での肩身のせまい思いをされ、カップラーメンひとつ食べても、人の目が気になる状況があったそうです。

「人の目が本当に怖かったです。」

そうつぶやかれました。

 

「今回はなぜこちらにいらしたのですか?」

と聞かれたので、

「こちらの中学校2校で演奏させていただくので、仙台に来ました。」

と答えました。

彼女は、

「こちらの学生は、地震のせいでたくさんの行事がつぶれてしまい、楽しむことができないでいます。

ぜひ楽しい時間を子ども達に与えてあげてください。きっと喜びますよ。頑張ってください!」

と、励ましてくださいました。

終始穏やかな笑顔で話し、サーブしてくださった彼女。

大きな地震にみまわれて、想像できないほどの辛く苦しい思いをされたはずなのに、

地震の時のことを淡々と話してくださり、そして逆にこちらが励まされました。

テレビや新聞ではなく、こうして生の声を聞かせていただいたことは貴重な経験でした。

 

地盤沈下が激しいと言う仙台駅周辺の地区は、今も工事が続けられています。